朝礼ネタ・スピーチに名言コラム~バイカー修ちゃん・今日の一言
西洋人の観念には、「神」という「絶対の存在」――つまり比類なき唯一のウソ――があるように思う。
古来、「神学」は、ありもしない絶対(神)を、ある、ある、という哲学的論証を重ねつつ、論理と修辞と叙述を発達させてきた観がある。
-[1923-96] 大阪市出身の小説家・評論家 司馬遼太郎1994年文藝春秋『日本人の二十世紀』より-
あるとき、ヒトラー総統が腹心のロンメル将軍をよび、「同盟軍であるイタリア軍をどう思うか?」とたずねた。
ロンメル将軍は答えた。
「イタリア軍兵士一人ひとりについてならば、彼らは勇猛果敢なライオンです。将校はどうかといえば、ソーセージというところですな。参謀本部となると・・・これは肥料の山でしかありませんが」と答えたそうな。
-[1905-57] イタリアのジャーナリスト レオ・ロンガネージの日記より-

「不可能」を説明することはとても難しい。
何故なら、昨日の夢は今日の希望であり、明日の現実であるからだ。
[1882-1945] 米国の発明家・ロケットの父 ロバート・ゴダード 高校卒業式総代としてのスピーチ
「ムカつく」「ヤバイ」・・機能化・効率化を目指した社会は、言語まで短縮して「ニュースピーク」を生んだ。しかしそれは効率化どころか逆にコミュニケーションの喪失をもたらし、沈黙という語りえない「心の闇」を大量発生させる結果となったのである。
-[1949-] 横浜市出身のフランス文学者・評論家 鹿島 茂2013年著『悪の引用句辞典』より‐
「時間資本主義の時代」には、消費者は時間を節約する「さくっとニーズ」と「時間をゆっくり費やす「わざわざニーズ」を巧みに使い分ける。
-関西大学 総合情報学部教授 松本 渉2014年の言葉-
「効率性」を求めると不安定におちいる。私たちが生きている資本主義経済には、本質的にそういう「不都合な真実」がある。
-[1947-] 東京都出身の経済学者・東京大学名誉教授 岩井克人の発言-
正直言うと、良い印象はまったくなかった。言葉はがさつで、しょっちゅう怒鳴りあっているし、メシはぴちゃぴちゃ音をたてて食う。「食事をとる」なんて生易しいものではなく、まさに「メシを食って」いた。
話してみるとケチで強欲で自分勝手。いいと思ったことしかやらないし、したくないと思ったらテコでも動かない。アメリカでは「Mr.Kobayashi」だったが、本田技術研究所では「よう、あんちゃん」である。
服のセンスなんて言わずもがな。すべてが洗練とか上品とかの正反対だった。(中略)
私にとって「本田技術研究所」は異境、もっといえば魔境だったのである。そこではアメリカで学んできた最新の技術も論理的思考も生かしようがなかった。
すぐに辞めたくなった。
-[1945-] 東京都出身の技術者・ホンダで日本初のエアバッグシステムを開発・量産化 小林三郎2012年著『ホンダ イノベーションの神髄――独創的な製品はこうつくる』より-
結局のところ競争力とは、新たな優位性がどれくらいあるかではなく、いかに短時間でその優位性を組織の末端にまで根付かせられるかにかかっている。
既存の優位性についていくら評価を重ねたところで新しい優位性は生まれない。
戦略の要諦(ようてい)は、既存の優位性が他社に真似される前に次の優位性を生み出すことにある。
-[1942-2010] インド出身のミシガン大学経営大学院教授 コインバトール・K・プラハラード 1989年著『コア・コンピタンス経営:Competing for the Future』より-
「なぜそうなるの?」の根源的な答えである〔それ〕についての問いは、神聖な問いであると同時に、学問を生み出すような深い意味をもった問いでもあった。
宗教も哲学も、子供が発する〔なぞなぞ〕という遊びの中から生まれたのだと考えることができるだろう。
-[1872-1945] オランダの歴史家・サンスクリット文献研究家 ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス 人類文化と遊戯』より‐

遊びだからといって手抜きをすれば大成しない。中途半端になるだけだ。
仕事も遊びも、日常生活も手抜きしない。それができるようになれば、どのような職種であれ一流といわれるはずだ。
-[1947-] 佐賀県唐津市出身の小説家 北方謙三2013の言葉-

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