クロード・ドビュッシー

光学が光の幾何学であるように、音楽は音の算術である。

-[1862-1918] フランスの作曲家 クロード・アシル・ドビュッシーの言葉-

これでドビュッシーが感覚派というより論理的な作曲家ということがよくわかりますね。

この言葉の前段には「言葉で表現できなくなったとき、音楽がはじまる。

音の建築における一つの和音なるものは、建造物における石材一つと同じ重要性しかもっていない。

そしてその和音が本当の値打ちを持つのは、それが占める場所によってであり、旋律のしなやかな曲線に対してその和音が差し出す支柱ゆえなのだ」

とあり、この後に続くのが今日の一言なのだ。

バイカー修ちゃんはこの言葉でなるほど、音楽とは特に交響楽とは建築に通じるのだなと改めて知ったのでした。

ならば指揮者はさしづめ現場監督だ。音楽に心奪われない人はまずいない。

どんな無学な人でも、博識な人でもそうだろう。

音楽に心奪われない人はこりゃ病気だ。これは恋愛にも同じことが言える。

知を極めたファウスト博士でも美少女グレートフェンに心を奪われ悲劇に追い込んでしまった。

いかに激情が左右するように見える音楽も恋愛も「人に感動を与える」ことを前提にすれば理論的な構築が必要であるということだろうな。

ゲーテはファウスト博士を超人としてではなく人間として表現したのだろうな。

でもワーグナー的ゲーテと違い、ワーグナーに影響を受けたドビュッシーはやはり近代人。

東洋音楽に影響を受けて独自の音階を確立したからこそ、このような今日の一言がいえるのだと思うぞ。

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