T.S.エリオット

我々の知るところは余りに多く、確信するところは余りに少ない。我等の文学は宗教の代用品、我等の宗教もまた然り。
-[1888-1965] 英国のノーベル文学賞詩人 トーマス・スターンズ・エリオットの言葉-

ふーむ。難解な詩だな。上澄みをただ知っていることのみ多くて、深く知るところはきわめて少ないと解釈するのかな。つまり思慮が足りないと。文学そのものが宗教の安易な代理の手引書であり、宗教すらそうであるというのだ。うんうん。宗教とは、世の中の摂理を視覚化したものだというんだな。こればっかりはそうかもしれないし、我々が科学と呼んでいるものはすべてでっちあげだともいえる。バイカー修ちゃん今日の一言で紹介するのに一番難儀するんだよな。こんな詩は。文学がまだ生きて、エリオットの作品が読まれていた近代はまだいい。でもいまや、エリオットの作品を読む人はどのくらいだろう。本を読まなくなって考えは薄く浅く。言葉の意味もあいまいになって、人生は空虚なものになる。実感はなく、痛みもない。感動はマクドナルドでタマゴダブルマックがメニューにあったら幸せを感じる(そりゃ俺だっちゅーの)これもまた近代が生み出した人類ではあるのだ。このような人種が生息できる温室が先進国なんだろう。彼の頭にだって、彼らなりの宗教観があって行動規範があるんだろうな。理解できないけど。エリオットが見たらなんというだろう。そのさきがけが「時計仕掛けのオレンジ」かもしれない。エリオットは見たかな?

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