ウィリアム・ワーズワース

恋の奇しき発作をわれは知りぬ。恋しる人の耳にのみ、それが起りしありさまを、ありのままにぞ告げまほし。
-[1770-1850] 英国のロマン派詩人 ウィリアム・ワーズワース「ルーシー詩篇」より-

恋の奇しき発作をわれは知りぬ。恋する人間は誰しも気が変になる・・としか周りには見えないものだろう。え?そういう経験がない?それはそれで人生において本当の恋をしていないことなのかもしれない。誰しも、今では考えられないような珍業奇行をしているものでしょう。愛と恋の違いについては、種族保存の法則にのっとっているという考えもある。「恋」については、「今しか見えない」「すべてが都合よく見える」という過ちをおかすのはなぜか?そうしないと、柳沢ダイジンいうところの「子孫ができない」からだという。しかし、「できちゃった」あとに急速に「恋」は醒める。そして相手はほとんど何の変哲もない「普通の人」だったことが明らかになる。ここから「いいも悪いも含めて」「相手を許す」愛が生まれる。ってわけだ。恋は非日常にわきおこり、愛は日常に立ち返る。似た言葉だけど、大きく違う。バイカー修ちゃんは思うんだけど、あの柳沢ダイジンの発言は「子供を生む機械」発言が重要ではないんじゃないだろうか?恋はむかしよりチャンスは多いように感じる。道徳もユルんだし。でも女性は現実的な生き物だから「愛」に変わったときに「現実」を見るんだろう。誰だって今は、それなりの教育レベルにないと子供が幸せになれる可能性は低いことはわかる。これでは生みたくはなくなるよね。そしてこれは女性だけの問題ではないよね。たぶん男女ともに抱えた問題だ。そこを「女性の側の問題」のような認識を持っていることが問題だと思うぞ。

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