マックス・ウェーバー

「カエサルを理解する為には、カエサルである必要はない」。そうでなければ、あらゆる歴史記述は無意味であろう。
-[1864-1920] ドイツの社会科学者 マックス・ウェーバー「理解社会学のカテゴリー」より-

いやー、思い出すなあ。マックス・ウェーバーを学生時代に読んだことを・・。内容を思い出せないのが玉にキズなんだけど。この本の中にゲマインシャフトやゲゼルシャフトなんて言葉がでてきましたねえ。ここでは語らないよ。知りたい人はテンニエスの本でも読んでくださいね。とまあ、この中にこの「カエサルを・・」が出てくるんだよね。カエサルってのはユリウス・カエサル英語読みだとジュリアス・シーザーだ。なんで居酒屋のあのチーズのかかったサラダをシーザー・サラダというのかバイカー修ちゃんは知らない。しかしこのマクシミリアン(マックスの本名ね!ちなみにイタリア人だとマッシミリアーノとなる。ちなみにMotoGPライダーのイタリアン・ライダー、マックス・ビアッジの本名だね)の言っていることはもっともだと思うぞ。居酒屋でシーザーサラダ食べてるととなりの席から聞こえてくる・・。会社の部長や社長への批判をするサラリーマン氏が・・。「なっちょらん!オレだったらこうするね!」おー威勢がいいぞ!しかし翌日「ウコンの力」もむなしく酒が残った彼は会議の席でこう言うんだ。「私の立場では・・その件の判断がつきかねますので・・部長の決断に・・従います」なんて。人間の二面性だね。前述のMotoGPライダー、マックス・ビアッジも年下の天才ライバル、同国人のヴァレンティーノ・ロッシには勝てない。その差は彼が一番知ってるんだろう。でも彼は弱音は吐かずロッシを批判する。プロだもんね。理解する努力が大事。なれなくったっていいんだよ。でも理解する努力もしない人が批判しちゃいけないよね。また・・そういう声をいちいち気にしても体がもたないもの。

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