フリードリッヒ・W・ニーチェ

自らの敵に躍(おど)り込んで行くのは、臆病の証拠である。
-[1844-1900] ドイツの哲学者フリードリッヒ・W・ニーチェ「曙光(しょこう)」より-

バイカー修ちゃんは昨日本棚からニーチェの「この人を見よ」(西尾幹二訳)を取って久々読んだ。まあ、目を通すくらいだけど。悩むとニーチェやゲーテにいっちゃうんだな。誰かに頼りたいんだろう。まあ、この人は「なぜ私はかくも賢明なのか」っていうくらい真剣に真面目なのだ。今、ニーチェなんか読む人はほとんどいない。読んでる人は大学の先生くらいで、まあ・・世間からずれちゃった人が多いと思うぞ。でもね、高校生の頃かなニーチェが「もしせむしからその背のこぶを取るならば、それはかれの精神を取り去ることになる。これは民衆がわたしに教える智恵だ」って書いていたことには衝撃を受けた。これは「ツァラトゥストラはかく語りき」に書いてあったと思う。(一部不適切な表現があることを許してね。これは「バイカー修ちゃん今日の一言1999年12月25日に掲載してます。)そうかあ、どんな不幸でもそれがその人の精神そのものなんだ!そのリスクは可哀想だが、神はそのリスクを与えることによってその人に大いなるチャンスをも与えているんだと思った。ちなみに、イエス・キリストはせむしだったらしい(コリン・ウィルソン 「世界残酷物語」)へレン・ケラーは三重苦だ。それなしに彼らの功績はありえたか?そういう思考はニーチェから教わったようなものだ。臆病だからこそ敵に踊りこむ。・・そうかもしれない。多くの社長さんを見ててもいい意味で臆病で慎重な人が多いし、タクシーママさんみたいなチャーミングな人が多い。(関係ないか?)人から不幸を取り除くのは大事だし、必要なことだと思う。しかし、そこにその人自身の精神をも否定してしまう要素もあるっていう深みまで配慮することが必要だし、それが「ホスピタリティ」だろうな。

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