ヨハネ・パウロ2世

人はしばしば神がいないかのごとく振る舞いながら、自分自身を神の位置に置いている。
-[1920-2005] ポーランド・クラークフ生まれのローマ法王 ヨハネ・パウロ2世(本名:カロル・ユゼフ・ヴォイティワ)2002年ポーランド訪問での演説-

日本人にとって、そしてカトリック教徒の多い長崎市民にとって、また、共産主義と戦った法王として、法王史上初のスラブ系法王として、世界を100カ国以上訪問した「空飛ぶ法王」としてこの人ほど存在感のある法王はいないだろうと思うぞ。祖国ポーランドが旧ソ連の圧制から開放された大きな心の原動力として、またそれを恐れ阻止するために旧ソ連KGBの陰謀でトルコ人のメフメト・アリ・アジャから狙撃されたときは本当に驚いた。また、奇跡的に助かったときはそれ以上に感動した記憶がある。彼はナチスの進攻や共産旧ソ連の侵略によって祖国が壊されていくことを経験している法王だ。印象的だったのは、バイカー修ちゃんの友人でカトリックの不良少年がいたんだけど、「パパさま(こう呼ぶんだ)の長崎での説教に感動した」って手を合わせて泣くんだよ。僕はあぜんとしたね。日ごろの態度とこの謙虚な態度の格差に。でも人間、本当に苦しいときに心の支えになるのは、政治ではなくて、一遍の詩であったり、歌であったり、宗教であるものだ。宗教は道徳に直結している。政治が宗教を軽んずると悪しき新興宗教が幅をきかせる。人間は信じるものが欲しいんだ。今の日本の荒れ具合はどうだろう?子供から老人まで傍若無人に振舞うものと貝のようにだまるものとの二極化だ。仏教にはヨハネ・パウロ2世のようなカリスマがいない。心から信用できる存在がいないんだ。人を信用できない不信な心が闇の扉を開く。苦しくとも我慢する。教育は詰め込むもの。宗教は信ずるもの。こんなあたりまえのことを政治家だってどうどうといえない。そりゃそうだ、彼らだって道徳欠如型の自己主張しか知らない連中ばっかりだもの。信じてもらえるはずもない。神がいないかのごとく振る舞いながら、自分自身を神の位置に置いているのだ。

月別 アーカイブ