立花隆

ロボットとは、「自動能を持つ情報駆動型マシン」であり、その点において擬似的生物性を持つということができる。しかし、ロボットは、生物のもう一つの重要な基本的機能である、「新陳代謝による生命維持機能」を持たないが故に、真の生物になれず、擬似的生物にとどまらざるを得ないという悲しい存在だともいえる。
-[1940-] 作家・評論家 立花隆 2003年5月の発言-

立花隆さんは長崎出身です。評論家として確固たる地位を築いているように思う。しかし最近の記事を読むと正直??と思うときもある。政治問題にしろ、科学最前線の話題にしろ・・である。ムカシの田中角栄を追っていた頃や、宇宙飛行士のインタビュー「宇宙からの帰還」はすごかったなあ。最近はすこし客観性が欠け思いこみで書いてるフシもあると思うぞ。今回の文はその立花隆さんが書いたものだ。これって「人間になれないアトム」が悩むシーンでも有名なトコロだよね。多分立花さんも書いてる頭の中には「鉄腕アトム」がいたと思うぞ。しかしバイカー修ちゃんは最近思うんだ。もうすぐ人間の記憶・人格をすべて記憶できるコンピューターができるだろう。時間の問題だ。もし、死ぬ前にこの「機械」に記憶を移し、話しかければ生前の声で答え、考え、笑い、相談さえできるようになったとする。この「人格を持った機械」は人間なんだろうか?電源を落とせば死んでしまうこのマシンはいったいなに?そもそも人間とは肉体をさすのか?脳内の人格・心をさすのか?こうなると生物学的説明は意味をなさない。だって機械は人間じゃないもの。でも、わりきれないものがのこるよね。そしてこの「データ」はコピーでき「増殖」できる。同じ人格が何人もできるってわけだ。生物学的には「擬似生物」でもデータ的には「クローン」できる。考えることに疲れた人間は、いつかジョージ・オーウェルの「1984年」みたいにコンピュータに管理される暗黒時代を受け入れるようになるかもしれないと思わせる。だって人間が管理すると預けた年金はなくなるし、役人は自分たちに都合のいい仕組みをつくりだすし、楽したいという点では国民もおんなじなんで、そんないい加減な仕組みなら冷徹で公正な「ビッグ・ブラザー」にまかせたほうがいいって思うときがくるかもしれない。高速道路を自動走行化しようとしたり、いたるところに監視カメラが設置されたり、そうなる兆候はもうでてるでしょ?人間楽をしたいと思うととんでもない苦労をしょいこむ。神だって「狭き門から入れ」って言っているのに、みんな「広い門」に行きたがる。そうならないことを祈るばかりだよ。

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