源義経

永(ながら)く恩顔を拝(はい)し奉(たてまつ)らず、骨肉同胞の儀すでに空(むな)しきに似たり、悲しきかな。
-[1159-89] 源氏の武将 源義経が兄 初代鎌倉幕府将軍 源頼朝にあてた手紙(腰越状)「吾妻(あづま)鏡(かがみ)」より

源九郎判官義経(みなもとのくろうほうがんよしつね)、こういう名前ってわかりにくいでしょ?これはね、源義朝の九男として生まれた、官職が判官で、実名が義経って意味なんだ。だからムカシの名前は、家系と職がわかるようになってるんだね。だから兄頼朝は兄弟として呼ぶときは「九郎」って呼んだろうし、かしこまったときは「判官」って呼んだろうな。まあ「部長」って呼ぶのと同じだろう。幼名「牛若丸」、京の鞍馬(くらま)寺に預けられて「遮那王(しゃなおう)」って、名前もよく変わる。日本じゃ歴史のヒーロー上位に必ず登場する義経が、宿敵平家を滅ぼし、凱旋して兄頼朝のいる鎌倉に帰ってきたとき、郊外の腰越で足止めをくって結局引き返した。兄頼朝との仲が決定的に悪くなってこれから義経の悲劇がはじまるんだね。その腰越で書いたといわれる手紙の内容だ。けっこう女々しく訴えているのが痛々しい。後年、「こんなに活躍した弟をいじめるなんてなんて兄貴だ!」ってなことで日本人お得意の不利な方に味方することを「判官びいき」っていうのはここからきてるんだね。ちなみに「はんがんびいき」って読む人が多いけど「ほうがんびいき」が正しい。かれこれ800年以上もムカシの話だけど、義経の悲劇は日本人の涙を誘うんだな。バイカー修ちゃんの奥さまは義経は死なずに蝦夷(えぞ:ほっかいどう)に渡り、大陸に行ってジンギス・カンになったといいはるんだよ。う~ん、それもまた壮大な夢でいいかもしれないな~。

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