与謝野晶子

ああ、弟よ、君を泣く、君死にたまふことなかれ。 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも、親は刃をにぎらせて、人を殺せとおしえしや、 人を殺して死ねよとて、二十四までを育てしや。
-[1878-1942] 歌人 明星 明治37年9月号(1904年)与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」より-

これは、晶子の弟の籌三郎(ちゅうざぶろう)が日露戦争に出兵した際に書いた有名な詩ですね。たぶんみなさん知ってると思います。人は言葉をもっている。なぜかわからないがもっている。言葉は人の想いを伝えることのできる人間だけがもっている「超能力」ですな。だからこの姉の悲しみが100年の時を経ても伝わるんだ。でもね、言葉はあまりに便利だから、人は言葉におぼれる。言葉遊びにおぼれる。信じるものがあればこそ「言葉」には生気がやどる。信じるものがなくなればそれはたんなるその場しのぎの記号の羅列だろう。晶子の孫は政治家になった。まさしく言葉の巨人、夫の与謝野鉄幹との孫だよね。孫の世代は信じるものがなくなっちゃった。100年前は戦争だなんだで時代は大変だった。死にに行かなきゃならないんだから。でも人間はそれぞれに「信じる」ものがあった。国家であったり家族であったりしたんだろう。でも今はどうだろう?信じるものがあるのでしょうか?言葉と数字のお遊びだ。国そのもが「君死にたまふことなかれ」ってカンジだ。籌三郎は無事に戦争から帰ってきた。なんでも字が書けたから後方部隊にまわされたんだと。言葉遊びに終始し、数字とお金と意味のない法律やルールづくりに奔走し、言葉で相手を言い負かす。まあ、食うにはこまらないからこれでいいや。亡国とは貧からくるんじゃない。無いものは腐らない。余ったものが腐るんだ。食い物も、人も、お金も・・余ったものはみな腐る。

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