島津義弘

新興諸侯の虚栄をみて これをうらやみ 他国の風(ふう)を模するの日に至らば 我が薩州は変じて 弱国となるべし
-[1535-1619] 戦国武将薩摩第17代当主 島津義弘の言葉より-

戦国武将の大物中の大物、島津義弘の言葉です。バイカー修ちゃんのルーツは鹿児島なんです。船橋家は鹿児島県出水市に伝わる薩摩藩の武士でした。島津家はお殿様ですな。島津家は代々、教養高く剛勇な藩主が多く、その中でもこの義弘はタダモノではないぞ。秀吉が起こした朝鮮出兵(慶長の役)では朝鮮の英雄、李舜臣(り・しゅんしん今じゃイ・スンシンだな)と戦い、苦しいながら彼を戦死させているし、関が原では敗色強い西軍の中で一気に東軍の親分家康の本陣に突っ込みこれを蹴散らし薩摩まで帰ることに成功してる。これは家康のエピソードに必ず出てくるよな。あまりの義弘の大胆さに家康「もうこれまで!」と腹を切ろうとしたくらいだ。こんなことした薩摩藩はとっくに江戸幕府に改易(かいえき・とりつぶしのことね)されてもおかしくないのに、この義弘、勇猛だけじゃなくて人格者でもあり、また頭も抜群によかった。薩摩藩もそのまま生き残ったんだからすごいよね。上杉家なんか国替えになってかつての勢力は衰えちゃったのに。これも薩摩が西の端で江戸幕府からもっとも遠かったってこともあるだろうな。でもこのエネルギーは封印され250年後の28代斉彬(なりあきら)の頃に爆発し、徳川幕府崩壊につながるんだからすごいよな。薩摩は「変わらなかった」んだ。他藩が太平楽を決め込んで弱体化する中、この藩は質実剛健、変わらなかった。近代日本のいしずえを築いたのは薩摩んもんでごわっど!

月別 アーカイブ