濱田勤吾(はまだきんご)

二葉より 手くれ水くれ待つ花は 君が為にぞ咲けやこの時
-[1853-68] 戊辰戦争で戦死した大村藩の15歳の少年鼓手 濱田勤吾重俊の襟に母チカが縫い付けた和歌-

濱田勤吾って知っていますか?

彼は今は長崎県である「大村藩」の少年武士で、明治元年に幕府軍と官軍との戦争である戊辰戦争(ぼしんせんそう)に第二番隊鼓手として若干15歳で参戦したんだ。

そう大村藩は薩長についた官軍なんだ。

遠く秋田県の角館(かくのだて:今の仙北市だね)に出陣した。

鼓手ってのは、軍の先頭に立って太鼓を打ち鳴らし、部隊があらぬ方向に行かぬように目印となる大事な役だ。だから狙われる。

生まれ故郷の大村市には城跡の「玖島城跡」にひっそりと銅像が建っている。

角館には勤吾少年の立ち姿の写真が残されている。まだあどけない少年だ。持ってる刀と比べても大柄じゃない。

でも15歳といえば当事は元服。立派な大人なんだ。

大村藩部隊は刈和野の戦いで辛くも勝利するが、勤吾少年は戦場で2発も撃たれ壮絶な死をとげた。

明るくて地元の人にも可愛がられてたらしい。

彼の遺体が運ばれて地元の人たちがその襟(えり)に縫いこまれた母チカの手書きの和歌をみつけた・・。

「二葉より 手くれ水くれ待つ花は 君が為にぞ咲けやこの時」勤吾は濱田家にやっと生まれた男の子だった。

だれが戦場にやりたいと思う親がいるだろうか?

「生まれてから大事に育てたこの花を、このときこそがんばりなされ」地元の人たちはこの親心に号泣したと伝えられている。

バイカー修ちゃんには「無事で帰ってきておくれ!」って書いてあるように見える。

たった15年の人生。勤吾少年は立派に自分の人生をまっとうしたんだ。

地元のテレビ局でこの3年前に濱田勤吾の番組がつくられた。

現代の中学生が濱田勤吾の銅像を見て彼の人生をたどるという設定だった。

演じたのはバイカー修ちゃんの息子、船橋嘉一(かいち)でした。

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