織田信孝

むかしより 主を討つみの野間なれば むくいを待てや羽柴筑前
-[1558-1583] 織田信長 三男 岐阜城主 織田信孝 切腹の際の辞世の和歌-

織田の信孝っていう人はあまり歴史の表には出てこない。でもこの句には恨みがこもっているだろう?「羽柴筑前」ってのは、羽柴筑前守(ちくぜんのかみ)秀吉、そう後の関白・豊臣秀吉のことだね。今じゃ信孝なんて大河ドラマでも脇役でちょこっとってカンジだ。でもこの時点では信長の息子。秀吉なんて「これ!筑前!」なんて見下していただろう。父信長の三男になり、母上は側室で名前すらわからない。意外だけど、側室ってほとんど名前も残っていないケースが多いんだ。去年の大河ドラマ「風林火山」の武田晴信(信玄)とのロマンスの相手「由布姫(ゆうひめ)」演ずる柴本幸さんが美しかったな・・。井上靖の原作では「ゆぶひめ」ってルビってます。僕の読んだ「風林火山」は古いんだけど、最近出版されたやつもそう書いてあるかはわかんない。この「由布姫」もじつは名前は不明なんだ!意外でしょ?諏訪家からきた御料人ってことで史実には「諏訪御料人」としか残されていないんだ。だから作家の創作なんです。新田次郎の小説「武田信玄」では、「湖衣姫(こいひめ)」って名前だ。たぶん、湖衣姫の方が有名だったと思う。存在感の薄い薄幸の女性ってイメージだった。ちなみにバイカー修ちゃんおすすめの海音寺潮五郎の「天と地と」では「諏訪御料人」となっている。おっとっと、脱線ダッセン、信孝の話だったね。まあ、ひとことでいうとこの時世の句でわかるように、したたかな秀吉の策略にはめられて柴田勝家についたばかりに自害することになってしまった。やはり父上の覇王信長に対する恨みつらみは大きかった。信長の息子さんたちは全滅しちゃったのだ。信長の恐怖政治に生き残ったシタタカな秀吉、家康、利家らの前には手をひねるようなものだったろうなあ。

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