明智光秀

われならで 誰かは植ゑむ一つ松 心して吹け 志賀の浦風
-[1528-82] 安土桃山時代の武将 明智光秀 志賀に坂本城を築いた時の和歌-

この和歌は江戸時代の儒学者、湯浅常山(ゆあさ じょうざん)の「常山紀談(じょうざんきだん)」って戦国武将の言行録をまとめた本に載っていたのだ。これは歴史的資料という意味ではあまり信憑性がないらしいけど、けっこう読んでみるとおもしろいんだな。バイカー修ちゃんはムカシ県立図書館ではまって読みました。じつはこの本に信長の寵愛(ちょうあい)を受けたという美少年、森蘭丸(らんまる)の話が載ってるんだ。「森蘭丸は三左衛門可成が子にて、信長寵愛厚し。十六歳にて五萬石の地をあたへらる」とある。この戦国時代、側室と称して「おめかけさん」がいっぱいいるのはよく知られている。こりゃ「お世継ぎ」がいないと「お家断絶」という恐ろしいことになると困るので、女性がたくさん必要なわけだね。でももうひとつ「衆道」ってのがあるんだ。いわゆる男性同士の「同性愛」ホモですな。これはこの時代、異常なことでもなく、ごくあたりまえの行為だったらしい。信長にとっての蘭丸もそうだったらしい。このあたり、今以上にフリーダムだったんだねえ。信長はなんと前田利家とのウワサもあった。まあ、明治になるまで、しごくあたりまえに日本の風習として行われていたとは、まさにローマ帝国なみのリベラルさに驚くばかりなりけり。刀と槍で命がけに戦う一面、男同士で愛を語る戦国人の心は、我々現代人には理解しかねる部分もある。でも・・それは一面的で現代でも同性愛者は男女にたくさんいることを思うと、これムカシからあったことなんだよね。おおらかに理解しよう。

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