栗原貞子

こはれたビルデングの地下室の夜であつた。
原子爆彈の負傷者達は暗いローソク一本ない地下室を埋めていつぱいだつた。
生ぐさい血の匂ひ、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声が聞こえて來た。
「赤ん坊が生れる」と云ふのだ。
この地獄の底のやうな地下室で、今、若い女が産氣づいてゐるのだ。
マッチ一本ない暗がりの中でどうしたらいゝのだらう。
人々は自分の痛みを忘れて氣づかつた。
と「私が産婆です。私が生ませませう」と言つたのは、さつきまでうめいてゐた重傷者だ。
かくて暗がりの地獄の底で新しい生命は生れた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまゝ死んだ。
生ましめんかな 生ましめんかな。己が命捨つとも。

-[1913-] 広島生まれの詩人 栗原貞子『生ましめんかな』より-

なんとも言葉にできない詩だ。このボケた国民もたった60年ほど前までは、世界で最もサバイバビリティに富んだ国民だったのだ。戦争を喜ぶ人間などいない・・というのは詭弁(きべん)だね。「人命が最も重い」という哲学は人類の多数派ではないのだ。世界の多数派は信仰や信念のためなら命をいとわない人々の方がはるかに多いのだ。それだけ貧困と暴力はいまだ世界の大部分を支配している現実をそろそろ日本国民も認識する必要があると思うぞ。こんなことを言うと「右翼」だとか、「保守的」だというのは正しくないだろう。生きることを重んじるなら、死ぬことにも直視すべきだろうと思うぞ。天に「腹がへった!」と叫んでも、おにぎりは降ってこない。平和を祈ることは大事だが、祈るだけでは平和はこない。残念だけど、空腹を満たす以外で仲間を殺すのは人間だけなのだ。この世には少なく見積もっても瞬時に20億人の人間を蒸発させる核兵器があり、狂った独裁者はいまだ何人もいるし、富国強兵のためにギョーザを作ってる国もある。日本人は無意識のうちに戦争での悲惨な体験を「おそらくバカのふりして忘れた」ように装っているんだろうな。人間の変質はわれわれが思う以上にはやい。日本人のノーテンキぶりもそうだけど、お隣の国もバブルノーテンキがいっぱいいる。たった10年で変わるのだ。そして・・スイッチが変われば5年でまた・・別人に変わるのだ。人間は歴史の流れに順応するのだ。それが歴史上の人間の喜劇であり悲劇なんだなあ。忘れたフリっていうのはいちばんカンタンな「現実逃避」なんだよ。そんなに短期間で人が変わるかって?例をあげればキリないね。あなただってまわりの環境に「妙に順応」して生きていませんか?

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