松本良順

勇と歳三と共に、屯所を巡り患(み)るに、恰(あたか)も梁山泊(りょうざんぱく)に入るの思ひあり。或(あるい)は刀剣を磨き、或は鎖衣(くさりぎぬ)を繋ぐ等、甚だ過激の有様なり。総数170~80名にして、横臥(おうが)、仰臥(ぎょうが)、裸体、陰所を露(つゆ)はすもの少なからず、其(その)無禮(無礼)言ふ迄もなし、巡り終りて旧座につきたれば、勇を詰(なじ)るに『局長と次長(副長)同行せらるるに、裸体仰臥(ぎょうが)せしものの多きは、その長に対し、無礼ならずや……』
-[天保3年1833-1911]長崎大学医学部創設者 松本良順 慶応元年(1865)初夏 新選組健康診断の感想-

今日はちょっと読みにくいけど、あの新選組の生々しいルポルタージュをお届けしよう。この松本良順(りょうじゅん)って人はね、「西洋医学の父」オランダ人ポンペとともに長崎大学医学部の前身となった長崎奉行所西役所医学伝習所を開設したことにはじまる。まあ、長崎の歴史にはかかわり深い人なのね。この人の日記に新選組の屯所を健康診断したときの話があるんだよ。近藤局長と土方副長といっしょに屯所をまわると、裸で下半身丸出しで寝っころがってるやつ、刀や鎖帷子(くさりかたびら)って知ってるかな?衣服の下に着る小さな鎖で編んだ服だね。刀が当たっても骨は折れても刃は食い込まないというおっそろしいシロモノだけど、戦闘にでるとこれが切れちゃったりするので補修してるやつ、刀に打ち粉つけて磨いてるやつ、などと下品で過激で無礼な野蛮人の集団だっていう光景が書かれてる。あまりに武士にあるまじき無礼さに、近藤局長と土方副長をどなっているとこがおもしろい。水滸伝(すいこでん)のアジト梁山泊(りょうざんぱく)のようだって、けっこうユーモアがあるのもおもしろいぞ。そしてこの診断結果も書いてあるんだね。なんと170数名のうち、70数名が病人だった。中でもワーストスリーは、感冒(風邪)、食傷、梅毒。難患は、心臓肥大と肺結核の二人だって。ひどいねえ!食あたりが多いのはこの時代の常だった。梅毒も京都の遊郭でもらったものだろう。明日をも知れぬ新選組隊士たちは、一回チャンチャンバラバラやって報奨金がでるとパーっと使ったらしい。このあたりは新選組のドラマをつくる人たちも勉強してほしいよなあ。

月別 アーカイブ