司馬遼太郎「播磨灘物語」

 官兵衛は、この点さびしかった。

 かれはさきに岐阜へ使いし、信長に拝謁したとき、信長にひどく気に入られて、太刀を一口もらった。

 信長が愛用していた太刀で、長谷部国重の作の二尺四寸一分である。「圧切(へしきり)」という名がある。

 ひどく斬れのいい刀で、あるとき信長の下人が不届きなことをした。

 信長の性格の欠点である癇癖(かんしゃく)が、露骨に出た。

 これを手打ちにしようとして追った。

 しかし下人は部屋のすみの膳棚(ぜんだな)の下へもぐりこんで、横になり、出てこなくなった。

 そのままゆるすべきであった。が、信長の気性のすさまじさは、こういう命惜しみの行動を卑怯(ひきょう)とみてさらに立腹するところにあった。

 かれは長谷部国重二尺四寸一分を抜き、膳棚の下に刀をさし入れ、下人の胴に当てた。

 信長は大して力を入れることができない。

 しかしそのまま刀を押しつけてわずかに力を加えただけで、刃は下人の胴に沈みこむようにして沈み、ついに胴を二つに切り放してしまった。

 以後、信長はこの刀を「圧切」と名づけてもっとも愛用していたのである。
-[1923-1996] 司馬遼太郎「播磨灘物語」より織田信長が黒田官兵衛に与えた「長谷部国重」狂気のエピソード-

バイカー修ちゃんは日本刀も大好きで、じつはわが家にも、室町時代に造られたという無銘末手掻(すえてがい)の刀があります。家宝でございます。

500年もたつというのに曇りひとつなく、まるでステンレスで昨日造ったように美しい刀です。

そこで・・司馬さんの小説に出てくる日本刀の名シーンを紹介しましょう!

まずは、狂気の信長の「圧切」こと、長谷部国重(はせべくにしげ)だね。圧切とかいて「へしきり」と読む。

このエピソードは事実らしくて、真っ二つにされたあわれな下人(げにん)の名は茶坊主の観内(かんない)というらしい。

なんとも信長の恐ろしい性格がでてるエピソードだねえ。

こんな殿様に仕えてた秀吉や光秀は生きた心地がしなかったろうな。

しかし「こんなに切れるの?」ってみなさん思うでしょう?

しかしね、日本刀はちゃんとした使い手が切れば、一刀で胴体は背骨も含めて真っ二つになったらしい。

記録には「八文字(はちもんじ)」って切り方があって、これは頭から股間まで真っ二つに切ることだ。

八の字が二つできるって・・おおこわっ!

 ちょっと脱線したな。この「圧切」こと長谷部国重は信長から部下の軍師、黒田官兵衛(後の如水)に与えられた。

この長谷部国重という刀工は相模の国鎌倉の刀工だ。

信長の刀はこれと、桶狭間で討ち取った、今川義元の太刀「左文字(さもんじ)」が有名だね。

この「左文字」を信長は気に入り、そりの強い「太刀」を砥ぎなおして、刀にこしらえて、「織田尾張守信長(おだおわりのかみのぶなが)」と銘を入れさせたんだ。

こっちは残っていないけど、「圧切」長谷部国重の方はなんと!!現存してるぞ。

福岡市博物館が所蔵してる。もちろん国宝だ。

「天下布武(てんかふぶ)」をスローガンに室町時代を破壊した、覇王信長の刀は今もある。

その刀身には信長の歴史が眠っているのだ・・・。われながらこんなことよく知ってると思うよ・・ほんと。

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