司馬遼太郎「奇妙なり八郎」

研ぎ芳は一目みるなり、目をみはって、「こ、これは古備前でございますな」といった。

「初代兼光とお見受けしましたが、おそれながらこれほどのものは諸侯のお蔵にも少のうございます」

「浪人の差し料では分際にすぎるというのか」

「めっそうもない」

「口裏に気をつけるがいい」
-[1923-1996] 司馬遼太郎「奇妙なり八郎」より清河八郎が手にした「備前長船兼光」のエピソード-

新撰組シリーズで昨日は沖田総司だったから、今日は新撰組の前身の浪士隊のころの中心人物、清河八郎のエピソードだ。

いや本当にこんな刀を彼が持ってたかどうかはやっぱり疑わしい。

これらはみんな司馬さんの創作だろうけど、なんかありそうな話であるところがおもしろいんだよね。

日本人はやはり持ち物にこだわるきらいがあるのかもしれない。

刀は本来武器であるはずなんだけど、それが江戸の太平期に入ると「哲学」になってくる。

人を殺すための武道が、哲学としての武道になってくる。

だから刀に精神性と歴史を求める。

やたら名刀にこだわったのもそのへんかもしれない。カタナフェチだね。

浪人といえども刀にこだわったのは、そのへんが大きかったんだろうな。

幕末にはまた、戦国時代のような斬りあいが京都をはじめ繰り広げられる。

どこからあらわれたのか、「自称剣豪」がたくさん出てくる。

怪しげな集団の「新撰組」が武装警察隊となって、テロリスト薩摩・長州・土佐の志士をたたっ斬る。

壮絶な世界に突入していくのが、この八郎が亡くなったすぐあとからだ。

月別 アーカイブ