橘曙覧(たちばなのあけみ)

たのしみは あき米櫃(こめびつ)に米いでき 今一月はよしといふとき
-[1812-68] 幕末の歌人・国学者 橘曙覧(たちばなのあけみ)「独楽吟(どくらくぎん)」の和歌-

今から150年前の人なんですね。橘曙覧(たちばなのあけみ)は。
「独楽吟(どくらくぎん)」にでてくる和歌はみんな「たのしみは」ではじまる。日常のできごとをみな楽しみにしてしまいながら、人生を豊かに過ごす和歌だ。
しかし・・つつましい。米びつに米が満たされ、今月はなんとか暮らせるぞって思うことが「たのしみ」だって。
これを今の人間が思うと、「一ヶ月分しかない」っていうことで原子力潜水艦みたいに「沈みっぱなし」だ。
同じことがらでも気の持ちようでまったく、人生の明暗がわかれる。
人生を楽しく過ごすか、苦しく過ごすのかは、じつは「本人の気の持ちよう」なのだ。
現代人は、クルマも家も、服だって山ほど持ってるし、豊かだよなあ。徳川家康よりある意味豊かだろ?でもほんとかなあ?まわりもみんな持ってるから相対的に豊かさなんて感じてないでしょう?
この「現代病」は海水を飲むようなもので、のどがかわいて飲んでも飲んでものどの渇きがとれない。
悲しいかな人間は大方一人で悩むと、なんでも悲観的に考えちゃうんだ。
悲観的考えて自分を悲劇のヒーロー、ヒロインにしたてて悪いのは全部社会のせい、他人のせいにする。苦しんでいる自分に・・密かに酔っている。
社会に復習?その「社会」とやらは大方ご両親という狭い社会への復習なんだろうなあ。

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