杉本鉞子(すぎもとえつこ)

お稽古の二時間の間、お師匠様は手と唇を動かす外は、身動き一つなさいませんでした。
私もまた、畳の上に正しく座ったまま、微動だも許されなかったものでございます。
唯一度、私が体を動かしたことがありました。

丁度、お稽古の最中でした。
どうしたわけでしたか、ほんの少し体を傾けて、曲げていた膝を一寸緩めたのです。
すると、お師匠様のお顔にかすかな驚きの表情が浮び、やがて静かに本を閉じ、厳しい態度ながら、やさしく「お嬢様、そんな気持で勉強はできません。

お部屋に引きとって、お考えになられた方がよいと存じます」とおっしゃいました。
あの時のことを思い出しますと、今もなお打傷の痛みのように、私の心を刺すものがございます。

-明治6年生まれ[1873-1950] 長岡藩家老の娘 コロンビア大学講師 杉本 鉞子(えつこ) 「武士の娘」より-

この本もおもしろかったなあ。ムカシの武家の人たちが今の「篤姫」なんか見たらぶったまげて、お抹茶イッキ飲みかもしれないな。
そうなんです。ムカシの武家の人は、寡黙(かもく)で身体を動かしたり、ゆすったり、イマドキの骨無しワカモノのようにイスにクラゲ状態で寝そべってはいませんでした。
武士たるもの戦国の世は座って刀抱いて寝てたんだぞ。(「七人の侍」の一人、剣豪の久蔵がこうやって寝てましたね。)
じつは、バイカー修ちゃんの父方は薩摩藩士の家で、今「篤姫」で話題の島津家発祥の地と言われてる鹿児島県出水市(いずみ)の出身なんです。
そこの地主でねえ。まわりはみんな「船橋」って姓ばかりで、親族なんですね。
だからみんなファーストネームで呼び合ってるんだ。「マサノリさん」とは発音しない。「マサノ~いさん」とあの九州人ですら理解できない薩摩のなまりで呼ぶんです。
さすがに近頃は「西郷どん!」のように●●どん!、おいどんは!とは言わないようだけど。
そんでもって母方は熊本は肥後の士族だったんだ。
今でも、亡くなった熊本のおばあちゃんが、いたずらする僕に「修一!この無礼者!」と言ってたことを昨日のように思い出すなあ。
父は僕が子供の頃、芋焼酎に酔うとすぐ薩摩なまりがでて「おいんがたは士族じゃっど!」(訳:私の家は士族です)ってよく言ってました。
薩摩は封建的ですからねえ。それがどうした?って言われたら返す言葉はないんですけど・・。

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