北大路魯山人

欧米人が日本のやうに刺身を食ふ習慣の無い理由はいふまでもなく生で正味出来る魚が無いからであらう。

米人でさえオイスター蠣(かき)を自慢して食ふところを見ると旨ければ生でも食ふ證璩(しょうきょ)である。
-[1883-1959] 陶芸家・書家・料理研究家 北大路魯山人(きたおおじろさんじん)の言葉

日々、いろんなことを考えている。
この大不況を乗り切るには、中小企業として新しい商品・サービスへの取り組みとお客様の声に向いた組織へのたゆまない改革しかないことは、誰だってわかっている。
僕らは「お客様はこういうものだ」という思い込みにしばられている。
かつて外国人は「日本人は生魚を食べる」と驚いていたし、僕らもそれは「日本人の特徴」だと思っていた。
でも天才のとらえ方は違うんだなあ。魯山人は自分の味覚に絶対の自信を持っている。
その彼がうまければ外国人でも「生」でも食うはず、という価値前提で語っている。
ちなみにこれは『芸術新潮』1954年3月の記事「世界美食行脚直前」に掲載されているものだ。(古いねえ・・)
今じゃ外国人が刺身や寿司を食べるのは珍しくもない。
半世紀で激変したね。魯山人の言ってたことは正しかった。
さて、僕らのお客様も変化している。今日も営業担当者とお客様先に行ってつくづくそれを感じたなあ・・。
やはり答えは現場にあるね。
その変化に気付かないのは、売り手のわれわれの方だとつくづく思い知らされる。
半世紀前の魯山人の時代でも、当時の日本のインテリは、生魚を食べるのは野蛮だと言う外国人に媚びていた。
敗戦の自信の喪失がそうさせたんだろうなあ。
現代も自信喪失の時代だ。僕らは魯山人のように「役に立てばこの商品・サービスは必ず受け入れられる」と自信をもって言えるだろうか?
今回の不況はこの覚悟を問われているような気がする。
自分自身のやっていること、集う人、投資するお金、そして社会的責任、すべてを試されているような気がする。
先の見えない航海。進む道は「自由」。この自由というものの言葉の軽やかさに対して、その責任は重い。

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