フランソワ・ド・フェヌロン

不完全な者だけが不完全なものに不満を言う。

人間は完全に近づくにつれて、他人の欠点に優しく寛容になるものである。
-[1651-1715] フランスの神学者 フランソワ・ド・フェヌロンの言葉-

このフェヌロンなる人物のことは知らない。
しかし、人間は3世紀前からたいして変わっていないらしい。
バイカー修ちゃんもよく経験することなんだけど、いろんな世界にいろんな人がいて、少し話をしただけで染み入るように引き込まれる人がいる。
それは大企業の経営者であったり、小さな商店の店主さんだったり、リタイヤした元サラリーマンだったり、ジョギング中によく合うご夫婦だったり、ガソリンスタンドのお姉さんだったりする。
職種や年齢や地位にはまったく関係がない。
特別な内容の話をするわけじゃない。
ただ言葉を交わすだけなのに感じるものがあるんだ。
何が違うのか考えてみた。
言葉ではなんとも言えても決してうそが言えないのは「微笑み」の顔だったりする。
「言葉」と「心の中」が違う人は、顔に特有の緊張感がある。
長年、人と接しているとなんとなくわかるようになってくる。
言葉のキャッチボールをしてて、自分の理解を超えた内容や、納得できない内容があったりすると・・、言葉では「なるほど!」とか言いながら目が納得していない。
はて!僕はどうなんだろう?
人の欠点が見えているってことは、自分自身にもそういう面があるってことなんだね。
だって「他人は自分の鏡」なんだから。
このブログで、人生や事業の目的を「カネ」にしちゃいけないって何度も言っている。
こう書くと必ず反論があるんだね。
「カネ」が目的でないなんてきれいゴトだとか、いいかっこするな!とかね。
でもそう思っているんだから仕方がない。
前述の「素敵な人たち」の職業はバラバラだけど、共通点はひとつある。
良いことは人様のおかげ、悪いことは自分の不徳ってことで「愚痴」を言わない。
かつ明るい。渋い顔で笑いもしない人もいる・・・けど、不思議と楽観的だったりする。
その逆に、会えば必ず愚痴る人も大勢いる。
この愚痴ほど、自分のモチベーションを下げ、人の意欲をそぐものはない。
こちらが話したくなる人っていうのは、そういう空気をよーく知っている人たちだね。
僕のまわりにはたくさんいる。
そしてこのブログをチェックしてくれる人たちもそういう人たちが多いんだ。
すごく幸せを感じるときがある。
まだまだ世の中、荒れたとはいってもすてたもんじゃないって思えるんだ。

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