本居宣長(もとおりのりなが)

「漢意(からごころ)」とは、漢国のふりを好み、かの国を尊(たふと)ぶのみを言ふにあらず、大方世の人の、万の事の善悪是非を論ひ、物の理(ことわり)をさだめ言ふたぐひ、すべてみな漢籍の趣なるを言ふ也
-[1730-1801] 伊勢の国出身の国学者 本居宣長の随筆『玉勝間』より-

さあ週の始まりだ!
しかし、今の日本のビジネスマンや知識人の言葉を聞くと嘆かわしいの一言につきるねえ。
いまだ「グローバル・スタンダード」なる、日本人以外には通じないジャングリッシュをありがたがる。
彼らには共通点がある。「アメリカでは・・」ってやつだね。そんなにありがたいかい?アメリカ様が?
バイカー修ちゃんはアメリカにいたけど、アメリカにも学ぶべきいい面と、学ぶべきでない悪い面がある。ただそれだけだ。
日本人の「舶来好み」は今に始まらない。
江戸時代に生きた本居宣長の時代は、「グローバル・スタンダード」と言えばお隣の中国だった。
それは、儒学あたりを指す。
当時から、「チャイナ・スタンダード」を錦の御旗のように知識人はひけらかしていた。
これが、幕末にはオランダになり、明治には仏・英・米になり、昭和になってドイツになって奈落の底に落ちちゃったわけだ。・・・で、敗戦後は原爆まで落とされたアメリカサマサマだ。
中にはソ連や共産中国にあこがれた人もいたけど・・。
こういう人たちを宣長は「漢意(からごころ)」って言ったわけだ。
(くどいけど、宣長の時代は「中国」だったから「漢」ごころだよ!)
外国によりどころを求めるのは、戦後ニッポンだけじゃないんだね。
日本なるものとはなにか?宣長はそれを「古意(いにしえごころ)」ってよんだわけだけど、じつはよくわからない。
バイカー修ちゃんは、自分なりの「古意(いにしえごころ)」を見つけるために、「経営品質」をやっている。
この「経営品質」そのものがアメリカ発の考えなのでもろに「漢意(からごころ)」なわけなんだけどね。
カネでははかれない幸せを見つける努力に、「漢意(からごころ)」を活用しながら、自分なりの「古意(いにしえごころ)」を見つける。
この折衷(せっちゅう)がなんとも日本人的でしょ?
いや、この「折衷」こそが、「古意(いにしえごころ)」なんだとバイカー修ちゃんは思ってる。
たぶん・・・、宣長もそう思ってたんじゃないかと考えている。
それは、おそらく・・宣長にとってショックだったんじゃないかな。
でも、もういいかげん、アメリカを気取るのをやめようよ。
僕らはかりにアメリカ国籍をとっても、「アメリカ人」にはなれないのだ。
日本人である現実をみよう。
自分の底の浅さをさらけだすようなもんだから。
さあ、くだらない「経済本」や「ノウハウ本」なんか捨てて、本居宣長でも読んでみませんか?
よっぽどおもしろいと僕は思うけどね。

月別 アーカイブ