クロード・ドビュッシー

言葉で表現できなくなったとき、「音楽」がはじまる。

‐[1862-1918] フランスの作曲家 クロード・アシル・ドビュッシーの言葉‐

昨日は早々に忘年会があった。気の会う銀行の支店長、そして友人たち。

歌って飲んでもうバカまるだし。

昭和時代を懐かしんで、クリスマスのサンタクロース帽子や、道化メガネ、こんな格好で大騒ぎした。

必ずカラオケって歌うよね。

僕のレパートリーってほとんどなくて、ビリー・ジョエルの「素顔のままで」を歌ったかな。

こんな喧騒(けんそう)のまっただ中でふと無音の世界になって疑問がおこる。

バイカー修ちゃんによくおきる「現象」だ。

「なぜ、人間って歌うんだろう・・・」なんてね。

そうなると、周りの騒がしさはまったく気にならなくなって、きれいなお姉さんにもまったく興味がなくなって、楽しそうに歌っている友人や先輩の顔を「観察」しだす・・悪いクセだ。

今朝は遅く寝たにもかかわらず、おかげで二日酔いもなく、5時から起きてまた考えて、ドビュッシーのこの言葉をホテルの部屋で思い出した。

ドビュッシーの今日の一言のあとはこう続く・・・

「音の建築における一つの和音なるものは、建造物における石材の一つと同じ重要性しか持っていない。

そしてその和音が本当の値打ちを持つのは、それが占める場所によってであり、旋律のしなやかな曲線に対してのその和音が差し出す支柱ゆえなのだ。」

このあと、ドビュッシーの有名な名言が登場する。

「光学が光の幾何学であるように、音楽は音の算術なのである。」

人間はおそらく、言葉を持つ前から歌っていたんじゃないだろうか。

そして言葉を持つようになっても、言葉だけでは永遠に本当のことを伝えられないことを知っているんだろうな。

だから・・歌う。

異国の言葉は理解できないのに、歌は理解できるし感動することもしばしばだ。

音楽の魔力は本当にすごい。これほどわかりやすい芸術もないだろうな。

その「歌」が時代を超えるするインターフェイスになって、喜びや悲しみを共有するんだろう。

おそらく全世界の人間に共通する数少ない共通のおこないなんだろう。

あまりにも悲しみが大きいと本一冊でもそれを表現することはできない、しかし一曲の単純な歌詞の歌はそれを表現してしまう。

歌詞そのものは「愛」だとか「この空が・・」なんて抽象的なのにもかかわらず・・。

メロディが聞こえてくるだけで涙がでてくるのは・・なぜ?  不思議だ。

歌は不思議と古くならない。

今なんかポップスも「カバー」って都合のいい焼き直しのオンパレードだろ?

そしてその時代の人々はその「歌」でそれを共有できる。

すごいよね「歌」って。

バイカー修ちゃんの時代の歌の思い出は・・・また今度のお話で。

みなさんの思いでの「歌」ってなんですか?

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