濱口梧陵(はまぐちごりょう)

俄(にわか)に日色、朦朧(もうろう)として光を失う。

時々日の光、天を焦がし、大雷の如き音、遠近に響く。

18541223日 紀州廣村(和歌山県広川町)を襲った安政東海・南海大地震『安政聞録』に記録された 佐久間象山門弟・明治新政府の郵政大臣 醤油店(現ヤマサ醤油七代目) 濱口()(りょう)[1820-1886]の言葉

 恐るべき災害が起こってしまった。

マグニチュード9.0!の地震。10メートルを超える津波。

日本にとって観測史上空前の災いが現実のものとなってしまった。

「東日本大震災」

加えて福島原子力発電所の事故。

第一原発が加熱してついに海水を圧力容器に注入したと報道されてました。

もうこの第一原発は二度と再使用できません。海水注入は最後の手段です。

そこまで危険な状態だと理解したほうがいい。他の原発も。

津波と地震で1万5千人(!!)を超える人たちの安否が不明・・。

いったいこれはどういうことなのだろう・・。

政治的経済的国難のこの時期に、まさしく国難!

 

バイカー修ちゃんの故郷長崎の30歳以上の人なら記憶しているだろう「長崎大水害」

あのときもたった一夜の大雨で300人以上の人が犠牲になり、甚大な被害をもたらしました。

バイカー修ちゃんももろに体験し、まさにこの世の終わりかと思いました。

しかしながら・・・今回の「東北関東大震災」は桁外れの破壊力と被害地域の広大さにあぜんとしてしまった。

バイカー修ちゃんも「長崎大水害」以来災害の資料を読みあさり、そのときに安政の東海南海大地震を記録した濱口梧陵の資料『安政聞録』を読んだ。

150年前の資料であるから文書のみの資料だけど、臨場感があって非常に驚きながら読んだ。

文書だけでこうなのだから、今回記録された映像資料は世界の災害対策に大きな貢献をするだろう。

しかしながら・・・その犠牲はあまりにも大きすぎる。

バイカー修ちゃんも友人知人がこの地域にたくさんいる。

この通信の混乱に考慮して、安否の連絡を取ることを控えている。

このブログを読んだ方は一報いただければ幸いです。

「長崎大水害」ですら復興を実感するのに10年ほどもかかったのではないでしょうか。

被災地の皆さん、災いは必ず過ぎ去るのです。

どうか希望を持ち続け、「今できること」に集中してください。

心から一日もはやい復興をお祈りしております。

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コメント(2)

松Gこんにちは!
まったくいまだ現実とは思えませんよね。
僕もテレビで自分の家が流され肉親が行方不明になっても半分笑ったような顔でインタビューに答えている被災者を見て、現実を現実と受け取れない・・・あまりにも悲惨な実体を受け入れられないことが、一層悲惨さを感じさせました。
あまりに桁外れなことが起きると精神が受け付けないんでしょうね。

僕も、一度刺されたときに瞬間痛みを感じなかったことを思い出しました。
しかしこれから重い現実がのしかかるんですよね。
それでも整然と行動する「あたりまえの行動」に日本人の素晴らしさがあると信じています。

松です。
今回の津波の映像 始めて見た時 しばらく本物とは信じられませんでした。

修さんの実体験された長崎大水害は東京で同じ長崎出身者がニュースを見て「俺の家が流されてる!」って言う言葉を残して会社を辞め田舎に戻った事今でもしっかり覚えてます。

阪神淡路の震災は、大阪で体験し 震災直後の神戸にも行って惨状を見たのでなおさらですが、でも・・・今回の地震津波は桁が違いすぎます。

実際現場に居る人はあまりの出来事に 悲しむ事さえ忘れて居るように見えました。

しかし、外国メディアの受け売りじゃ無いですが、正直 東京が停電に成った時「暴動が起こるんじゃ無いか?」と不安がよぎりましたが、そんな事も無く 再開したコンビニやスーパで整然と列んで買い物をする人達を見たら「やっぱり 日本人は日本人だ! 」こんな状況で冷静で秩序を乱さず行動できるって本当にすばらしい事だと思いました。

修さんが言われるように、希望を持って 焦らずに 一日も早く普通の生活に戻られる事を願って居ます。

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