ガリン・ヌグロホ

人間は死が身近にあるからこそ、真剣に、大切に、前向きに生きるんだ。

‐[1961-] インドネシアの映画監督 ガリン・ヌグロホ 1998年極貧地帯ジョグジャカルタ舞台の映画『枕の上の葉』より‐

 先週19日金曜日、鹿児島銀行さまからの依頼で鹿児島市に講演に行った。

「人の役に立つ人間になる」という演題で、鹿児島銀行さまでは2回目の講演だ。

講演が無事終了した翌日の20日、ふと「知覧特攻平和記念館」へ行った。

娘が中学校の修学旅行でここに行き、大きなショックを受けて帰ってきたことが心に残っていたからだ。

僕自身も30年ほど前に行ったっきりだ。

その頃ですら川崎三式戦闘機「飛燕(ひえん)」の実物が置かれ、十代、二十代の若者の両親あての遺書にショックを受けた記憶がありありと残っている。

今回行こうと思ったのは、娘がとても真剣に「特攻隊員」の存在と遺品・遺書について語ったことが大きかった。

今回は、時間の関係で一時間しかいれなかったのが残念だったけど、その資料の充実ぶりには驚いた。

展示飛行機も、鹿児島錦江湾で引き上げられた三菱零式艦上戦闘機・・・いわゆる「ゼロ戦」のかなり原型をとどめた残骸や、中島四式戦闘機「疾風(はやて)」の実物が展示してあったのには驚いた!

あのアメリカから40年近く前に帰って日本の空を飛んだ、世界でただ一機の「飛べる疾風」はここに眠ってたのか・・・。

今回は、特攻隊員の遺書を読んだ感じが30年前と違った。

彼らの書いた「遺書」には共通のパターンが見られることに気付いた。

軍国日本の強烈なイデオロギーの中で、許されるパターンの遺書がとても十代とは思えない達筆な筆文字やペン(鉛筆もあった)で書いてある。

定型的な勇ましい文章の・・・その行間に隠すように埋め込まれた「人間らしい」苦悩・・・そこに精一杯の若者らしさが感じられた。

30年前には気付かなかった・・・。

やはり自分自身も50歳を過ぎ、人生の終わりを考えるときがあるからだろうな。

死ぬことを強要され、それを「名誉あること」というイデオロギーで・・有無を言わさず納得させられ、死んでいった僕らの「おじいさん」に当たる世代・・・。

やはり涙は止まらない。三流のお涙ちょうだいにはなりたくなかったが、やはりだめだ。

人間は、死を身近に感じるから真剣になる。

このガリン・ヌグロホの言葉は大きく心をうつ。

『枕の上の葉』って映画は新興国家インドネシアの暗部をえぐる映画だ。

かつて日本に生きたくても生きられなかった若者がいたように、今のインドネシアにも「貧困」という戦争によって、奪われていく若い命がたくさんあるんだ。

長崎に戻り、母の墓の前で手をあわせた。

僕らは「死」というものを真剣に考えているだろうか?

いずれは自分の身にもふりかかるこの厳粛なるできごと。

死を考えることは生きることを考えること。

死をあいまいにすることは生をあいまいにすること。

こんなことをふと思った週末でした。

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