サマセット・モーム『人間の絆』

自分にとって自明である信仰が、外国人の目には馬鹿馬鹿しく見えるものだ。

‐[1874-1965]  英国の小説家・劇作家・批評家 ウィリアム・サマセット・モーム1915年著『人間の絆』第53章より‐

バイカー修ちゃんは、今熊本にいる。「ホテル日航熊本」の部屋でこれを書いている。

昨日の細川佳代子さんの講演「千石の乱世を生きぬいた細川家の智恵」はこれまでバイカー修ちゃんが聴いた講演で最高のものだった。

この講演についてはあらためてここで紹介するとしよう。

感動の整理には時間がかかるんだ。

今日は、今月1日から行ったブルネイのことをちょっと書こう。

ブルネイ、そこは敬虔なイスラム教徒の国だった。

東南アジア・ボルネオ島にありながら、中東イスラムの伝統を色濃くうけた驚きの国だった。

街の中心に巨大な黄金のモスクがあり、伝統のイスラム服を着た少年少女が整然と歩く光景はカネに困窮すれば伝統文化も寺院も競売にかけてしまう「民主主義国家」とは対極にあった。

この「驚き」という感情・・、これを経験するために旅はある。

けっして「観光」が目的なのではないな・・・少なくとも僕の中ではね。

旅がなぜ見識を広めるのか考えたことがあるだろうか?

見識を広める姿勢のある人と、そうでない人は旅を一緒にすればよくわかる。

見識を広める気の無い人は、旅で見たものを否定する。

「食べ物がまずい」「生活は貧しそうだ」・・・すべて自分が中心だ。

こういう人はなんのために旅をするんだろう?

イスラム教の祈りだって理解できないに違いない。

外国旅行の最大の利点は、その土地の人間・風俗・習慣と接したときに、外国人であるわれわれは、距離をおいて彼らを眺める。

そのときわれわれは、その土地の人間が、自国の風俗・習慣を必然的と信じているいるけれど、じつはそうではないとわかることにあると思う。

どういうことかというと、イスラムの祈りはブルネイの人には「なくてはならない」ものだ。

しかしわれわれにはそうではない。

それがなくても生きていけることをわれわれは知っている。しかし、ブルネイの人は知らない。

しかしね・・・。

これはわれわれ日本人だって、外国人からみたら同様のことなんだ。

われわれが「なくてはならない」と固く信じている習慣・風俗は客観的にみると大方「なくても生きていける」ものなんだ。

旅をすればいやでも気付くこの事実。

旅をしない人は小さくちんまりまとまって、箱庭のようなジオラマセットを「世界」と信じ込んで家畜のように生きていくんだ。

牛や馬は、家畜小屋を世界と思い込んでいる。

僕らもそうかもしれない。

旅とは、外を観ることで、じつは自分の内面を観ることなんだ。

サマセット・モームは、100年前の小説家だけど、旅のできない僕らに、小説というカタチで内面を見せてくれる作家かもしれない。

100年も前の小説を読んでおもしろいかい?ってよく聞かれる。

100年っていう時間は、昨日と同程度の時間差だ。

それが「大むかし」ってあなたが思うのなら・・・それはあなたの世界観と時間軸が「箱庭的なジオラマセット」って言えるかもしれないね。

たった今の浮かれたちゃらちゃらした小説やドラマは大方50年後には、駄作と傑作に振り分けられている。

なら100年前の「傑作」を読んだほうが、まちがいないっていうものだと思うぞ!

 

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