「遊び」の語源は、漢字にすれば「足霊」となる表現だと聞いた。

足を使って、この世とあの世を行ったり来たりすることなのだ。

古代の心は奥床しい。

-[1933-] 東京都出身のフランス文学者 篠沢秀夫の言葉-

篠沢先生・・と言えば、僕らの世代(50代だね)では、「巨泉のクイズダービー」の名物コメンテーターとして一躍有名になった学習院大学の先生だよね。

現在は、難病と戦い闘病生活であられると聞く。

なぜこの言葉を選んだのかというと・・・、長崎は昨日「精霊流し」だったからだ。

毎年のお盆、日本中のみなさんのご家庭では、おごそかに死者や先祖の霊が帰ってきてこの世の人と語らうというこのお盆は静かに過ごすのでしょう。

長崎は違います。

初盆の家は、「精霊船」を作って親族・友人一同で街を練り歩き、派手に爆竹を鳴らして・・・一部の人は酔ッぱらって、観光客が見たら「クーデターでも起きたのか?!」ってくらい尋常じゃありません。

爆竹の燃えカスが何センチも層になって路上に溜まるって想像できますか?

 

恐らく、鳴りやむことのない爆竹・花火で街じゅうが騒然とし、耳をふさがずにはおれません。

山の手から見ると、爆竹・花火の煙で街じゅうがかすんでしまうほどです。

恐らく長崎は、爆竹の消費量は日本一でしょう。

威勢のいい声、ドラの音、鐘の音

長崎っ子はこの「精霊流し」こそがお盆なんです。

僕の母が亡くなって、「精霊流し」をしてから10年・・・。

小学生だった息子がすでに大学生。

 

たぶん、長崎っ子は粋だから、「遊び」と「足霊」をひっかけて、汗を流して酔ッぱらい、亡くなった親族や友人と話をするんです。

他県の人から「ご先祖様にケシカラン!」と、よくお叱りをうける「精霊流し」

大波止の港で、クレーンで吊られて壊される「精霊船」を見送り、船の灯り用のバッテリーを持ってトボトボ帰る道・・・。

あの喧騒はどこへやら・・・勇ましい「精霊流し」は終わり、無性に物悲しいお盆がはじまる。

あの、さだまさしさんの「精霊流し」はその時の歌なんだと思ってる。

恐らく日本でこれほど個性的な「お盆」はないと思います。

 

カトリックの街でありながら、中国の影響を色濃く受けたこの「精霊流し」・・長崎って街が大好きなバイカー修ちゃんです。

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コメント(6)

たごさくさんお久しぶり!・・っていうかFacebookではお見かけしますよね。
そうですか、精霊流しは一度きりですか。
たござくさんは大村出身でしたよね。
長崎市以外の人にはあまりなじみがないかもしれないでしょうね。
僕は、浜町から歩いて15分のところに住んでいたんで、毎年子どもの頃は見に行っていました。町内かならずどこかの家から初盆で精霊流しが出ていたからね。
たごさくさんも大分の方が長崎よりも長くなり、大分にとけこんで暮らしているんでしょうね。
人は自分の思い通りにはなりません。
でも期待を裏切られてもそれをショックと感じない人生観もあるんですよ。
僕は最近やっとそういう境地に入ってきました。
大分市内にも友人はいるんですが、その府内戦紙っていうのは初めて知りました。おもしろそうですねえ!
僕も昨日、会社の方針発表会を終えて、気が抜けたのかこの夏はじめて風邪をひいたみたいです。
今日の日曜日、久々の休みなので明日までに治したいと思います。
たごちゃんも身体には気をつけてね!

修さん、こんばんは。ご無沙汰しています。厳しい残暑の中お疲れではありませんか?

さて、僕が精霊流しを見に行ったのは高3の頃の1回きりです。汗だくになりながら見た覚えがあります。華やかだけど、どことなく陽気というほどでもない、やはり死者と向き合い、言霊を交わし合うお盆の行事なんだなと思いました。そして、帰りのバスの混むこと。

私が長崎を離れて早いもので27年が経ちました。長崎は確かに心の故郷です。だけど諸々のことがあって19年前に大分に行き着き、妻と家族を得ました。今は第二の故郷大分と向き合って生きていかないといけません。この土地や人々に馴染めないことも正直ありますが、ギブアップしてたまるかと自分を奮い立たせています。皆が皆悪い人じゃないし。

さて、大分の夏の行事といえば大分七夕祭りです。中でも府内戦紙(ふないぱっちん)と呼ばれる、ミニねぶた祭りのような山車と踊り隊のパレードで盛り上がります。我が社も数年前まで出場していまして、三国志の関羽と赤兎馬をテーマにした山車で1等賞を取ったことがあるんですよ。

それでは、また書き込みします。


ラグビー小僧さんいらっしゃい!お客様といっしょに長崎の「精霊流し」を堪能されたようですね。ぜひ今度、僕もマリンワールドに誘ってください。次回は伊王島でも行きましょうか?長崎の「くんち」も変わった祭りですが、「精霊流し」も全国でストレンジなお盆の筆頭かもしれませんね。
カズオイシグロは5歳の頃まで長崎にいたので、きっと「精霊流し」は経験しているはずだとおもいます。
一度聞いてみたいですよね。彼の思いでを・・・。
「遠い山なみの光」には浜屋デパートはでてきても、「精霊流し」も「くんち」もでてこないですもんね。

丸山に、とてもおもしろいスナックがあるので今度いっしょに行きましょう!

修さん、お盆が終わりましたね。長崎に戻って7回目のお盆。
今年は会社の人(関東、関西、福岡出身)8人を連れて「精霊流しぶらぶらツアー」を企画。中国人経営者が運営する、この8月にオープンしたホテルマリンワールドの最上階のパーティ-ルームで夕食会を開きました。稲佐山に沈んでゆく夕日と遠くに響く爆竹の音を聴きながら長崎の文化談議に花を咲かせました。部屋には中国のテレビ衛星放送(ホテルでは60チャンネルの中国語放送が見れるそうですが)をLIVEで流してもらいながら現代の中国文化の雰囲気も色を添えてもらいました。その後は丸山、思案橋、県庁坂、と場所を移動しながら精霊流し見学。皆さんいずれも「日本ではない」「西方丸てなんですか」「こんな騒がしい爆竹の音と鐘の音のお盆は経験した事がない」とびっくりされていました。爆竹は小生が買い求めたものを体験してもらいましたが、皆さんの面白がってやっていました。喧騒と賑わいのお祭りという印象が参加された方には残ったようです。しかし、これだけでは長崎の精霊流しの半分しか経験できていないかもしれませんね。祭りの終わった後の帰り道、無性にさびしく、わびしい帰り路。さだまさしの「精霊流し」はやはりこのお祭りのことだと痛切に感じます。騒がしく華やかであればあるほど引き算としての虚無や亡くしたものの大きさがくっきりと浮かび上がってくる。本当の意味での寂しさや、ぬくもりや、静寂がそこにありますね。大切な人が亡くなられて1年、時間は流れ、人の心さえ流れていく。
「カズオイシグロ」は5歳で長崎から英国にわたって彼の地に帰化しましたが。彼は生まれた地のこの音やお祭りの匂いや形を覚えているのでしょうか、、。一度聞いてみたい。

P4Uサマ、いらっしゃい。
これは「足霊」と書いて、「たるたま」と読みます。
「たるたま」が読んで字のごとく、「あしれい」・・・「あそび」
となったのかもしれません。

僕も今年は「精霊流し」は見ず、長崎の父親と家族4人で、夕食を食べに行って、すぐに帰りました。
この年になると、帰ったからといって特別なにかをやるってわけではないですね。

でも長崎の「精霊流し」は一度オクサマと見てほしいなあ。
日本でいちばんヘビーメタルなお盆ですよ!

修さま
「足霊」何て読むのかもわかりませんでした。(「たるみたま」でいいのでしょうか?)
お盆は実家に帰りました。珍しく兄も帰っており、正月でもないのに一家四人が揃いました。しかし、特別な行事も無く、両親の健康を危惧するだけの帰省で終わってしまいました。富士市は新し目の工業都市なので、古くからの祭りや行事があまり無いんですよね。
精霊流し、、、ニュースで見るだけで体験した事もありません。
一昨年伺った時以来、エキゾチックな長崎が大好きになってしまったので、今度は爆竹にまみれた長崎も体験したいです。

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