「自分さえよければ病」・・この病の特徴は、自分にとっていちばん利益が上がるように行動しているつもりが、社会全体では不利益を生み、結局自分自身も貧しくなってしまうことだ。

つまり、むき出しの自己利益追求の果てに待っているのは、共食い・共倒れの世界にほかならない。

この現象を「合成の誤謬(ごびゅう)」という。

-[1952-] エコノミスト・同志社大教授 浜 矩子『スラム化する日本経済』より-

浜矩子(のりこ)さんは辛辣だけど、すごくポイントをついているエコノミストだと思うぞ。

今日はもう説明はいらないね。

読んだとおりだ。

いま「自分さえよければ病」の患者が世の中に蔓延(まんえん)している。

学校に行けば、モンスターペアレントが「自分さえよければ病」のウィルスをまき散らし、病院に行けばモンスターペイシェントが看護士さんや先生はおろか、まわりの入院患者にも迷惑をまき散らしている。

こういう連中は天に唾はく行為だってことを自覚せず、「当然の権利」などと思っているから始末が悪い。

世界がフラット化すればするほど、先進国は空洞化し、残された少ないパイをめぐってタテの階層は逆に強化され、同じ価値観の人のヨコつながりが強まると同時に、階層がカースト化してくる。

こういう「自分さえよければ病」の一団も類トモで集団化し、他人に不信をもつがゆえに、自分も他人から信用されないという悪循環におちいり、どんどん転落するという人生を歩む。

 

それでもまだ、「自分の人生がうまくいかないのは他人のせい」だなんて言って自己正当化は止まないから、ますます社会への不信と不満がつのるという「合成の誤謬」スパイラルにはまる。

もう賢明なみなさんはそんなことは百も承知だよね。

みんなで信頼の輪を広げ明るい社会をつくりましょう!

 

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コメント(2)

廣田くん、おはようございます。
まったくそのとおりですよね。
つい先日、父が腰の手術で国病に入院し、そのことを実感しました。
あまりにも便利になった反面、疎外感をこれほど感じる時代でもある。
身分制度がなくなったのに、新たな「カースト」を会社や学校内につくる我々。
平等を声高に言うのに、強いリーダーを望み、思考を一任する無責任な我々。
形がないものこそホンモノ・・・と言うくせにカタチのないものをたたき売りする我々。
「経済の時代」にあまりに順応しすぎて「文化の時代」に乗れない我々です。

先輩お久しぶりです。
自分さえよければ病っていう言葉があったんですね。浜さんの作語でしょうけど。

朝起きたら新聞がポストにあって、部屋はスイッチ入れればいつでも明るくて、水道ひねれば豊富に水が使える。
当たり前のことです。その当たり前が少しでも不具合起こすと苦情となる。

もしも、電気がなかったら、水がなかったらを考えたら、当たり前がのことが如何に幸せかよくわかるのに。

親がいることが当たり前のときは感謝しようなんて考えもしない。病気になって、亡くして親のありがたみが分かったときはもう遅いのに。

当たり前は、たくさんの人の夢が実現した状態で、それはもっとたくさんの汗で維持されているはずです。当たり前は、実は脆く、大変な努力で支えられているということに気づけば、みな感謝の気持を持てるのにな~ ってよく思います。

そう考えれば少々の不具合トラブルなんかは逆に楽しめたりしますよね。

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