理性は、合理的に考えることができる素晴らしい能力である。

しかしながら、理性は合理的にしか考えることができない限界のある能力でもある。

[1942-] 奈良県出身の哲学者 芳村思風『意志の力・愛の実力』よ

僕はいろんな人と会い話を伺う機会がある。

よく思うのは、「天は人に二物を与えず」っていうけど、そんなことはないってことだ。

才気あふれる人は、なんでもできる人が多い。

先日東京で会った友人なんかまさにその典型で、世界的大企業の中で、新規事業開発の責任者という社長直轄の事業を請け負い、これまでも「ネット通販ビジネス」を成功させたり、「短焦点プロジェクタ」なんていうハードの開発まで行い、見事成功させている。

片方で四輪やカートレースをこなし、頭の回転は驚くほど速く、話の引き出しは無限にあるという異能・才能のカタマリみたいな男。

僕と話しだしたら話題は止まらず、無限に続くって感じでおもしろくて楽しくて仕方がない。

 

大企業の中にすらこのような異能の人は少ないようだ。

過去の経験から想定される目標を達成したり(つまり営業目標とかね)、ロジカルな計算や改良を加えて、カイゼン型新製品を生み出せる人はけっこういる。

モーレツ型ビジネスマンもまだまだいる。

しかし、ゼロから有を生み出せる人はめったにいない。

彼なんかまさにその稀有な人で、例えていえば、ガリレオみたいな異能・多能の人だね。

この異能さはどこから生まれてくるのだろう?

よく言われることだけど、「歌をうたう」脳の部位と、「絵を描く」脳の部位はほぼ同じところなんだそうだ。

「歌」や「絵」はもって生まれた才能が大きく影響する。デッサンが下手な人はどれだけ練習をしてもうまくはならない。

僕は絵を描くのでそれがよくわかる。歌手は画才がある人が多いよね。八代亜紀さんなんか有名だよね。逆に画才のある人も歌がうまく音感やリズム感がずば抜けた人が多いそうだ。

おそらく同じ能力を、「音で表現」すると歌やリズムになり、「三次元」で表現すると絵や彫刻やアートになるんだろうな。

 

デッサンする能力や歌をうたう能力を、ビジネスで生かすと、過去という材料から未来を形作る能力が生まれるような気がする。

「無」を「有」にできるからだ。声を歌に変えるなんて「無」から「有」だし、白い紙にペンや絵の具で線を引き色を乗せると「無」から「有」が生まれる。

僕の感覚でいうと、描くのは楽しくて「何の苦労もなく」生み出すことができる。

 

仕事でもそうで、前例のないことをやる決断も、来るべき未来が想定できるんで比較的「何の苦労もなく」決定できる。

友人の彼も、こんな感覚なんだろうな。アーティスティックな人の特徴なんだけど、とっても「明るい」。

明るい未来しか考えてないようなところもあって、いっしょにいると楽しくなってくる。

こういう思考だと、結果も明るくなるから不思議だ。当然、失敗だっていっぱいする。

でもこういう人は失敗も「次の成功のためのいい経験」とあっけらかんとしてる。・・・見事ですらある。

 

結論なんだけど、おそらくみんな子どものころはアーティストなんだ。幼稚園の子どもの絵はどれも素晴らしい!天才だ。 詩を書かせても子どもはみんな天才詩人だ。

でもそれが大人になって、「理性的」になると才能が影を潜めてくる人が圧倒的に多い。

趣味がない・・・って人は要注意だと思うぞ。

たぶん「理性」が才能のじゃまをしてるんだと思う。

才能にあふれた人は例外なく、よくも悪くも、子どもみたいだもんね。

これを読んでる皆さんも、もっと子どもに戻って理性のヨロイを軽くしてはどうでしょう?

僕はよく人から言われるんだ。「いい歳して、まだバイクに乗っているんですか?」って。

こういう質問をする人は「バイクはワカモノの乗り物」だって、理性的に思ってるんだろうな。

僕はバイクが死ぬほど好きだから乗ってるだけだし、バイクに乗り続けるために「理性的」に考えて身体も鍛えてる。

理性の使い方をまちがっちゃいけないと思うぞ。

「常識」ってヨロイは理性がつくりあげる。今は変革の時代なんだ。

「理性的」に考えた結果、リスクが大きからやりません・・・じゃないでしょう!

理性を打ち破って、子どもみたいに考え、発想し、まずやる!と決める。

そして、その実現を「理性的」に考える時代だと思うぞ。

 

こういうとあなたは、「私にはアートや芸術なんかわかりません」って言うかもしれない。

でもね、そんな人はいないんだ。

あなたが男性なら、美しい女性をみるとときめくでしょう?

あなたが女性なら、素敵な男性をみるとときめくでしょう?

それこそがアートなんです。「美」を理解しない人はいません。

「自分には理解できない」っていう理性的な思い込みこそが自分の能力を小さくしてるんだ。

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ppさんおはようございます。
マーラーの交響曲5番はいですね。僕はピアノで聴くのが大好きです。
おそらく衰退・退廃とみえるその心境もじつは心のうちでは、静かなる躍動の前章なのではないでしょうか?

サミュエル・ウルマンの詩のように・・・。
僕も普段は妻から引きこもりでなかいか?と言われるくらい一人の静かな時間を好みます。
おそらくバランスをとっているんでしょうね。
ppさんは、文章にエネルギーがある。
まだときめきの力を感じますよ。

“E=M×Cの2乗”です。我々の秘めたるエネルギーは限りなく無限大に近いのだと思いますよ。

青春時代に美しい女性にときめきを覚え始めますね
その何度も何度も押し寄せてくるときめきを
必死に打ち消そうと努力します
しかし、そのときめきを抑えることのできない自分に嫌悪感を持つようになります
自己否定を覚える時ですね
そして衰退、退廃していく自分に安らぎを感じるんです
そして、ときめきが薄らいでいきます

自分の衰退、退廃のおかげでときめきに勝利してしまうんです

ときめかなくなった自分に平穏と安らぎが訪れます
そして退廃する音楽が美しいと思えるようになります
マーラーの交響曲5番などですね

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