キャロル・ギリガン

男の子は「正しい答え」を見つけるのがうまい。けれども、女の子は「正しいか間違っているか」よりも、現実にこうした問題がおきたときにどうすれば誰も傷つかずにうまくいくかまでも考えぬこうとする傾向がある。

これらは実社会で、どちらが有効なのか?という問いにつながっていく。

現実におきる問題は算数のように一つの答えで解けはしないのだから、「答えはだせなくて当然」なのだ。

 -[1937-] 米国の倫理学者・心理学者 キャロル・ギリガン「道徳性発達理論」より-

さる10月3日、長崎労働局の小鹿昌也局長より、「女性の活躍促進に向けた取組について」の要請文を授与されました。

ま、ひらたく言うと九州教具は、女性活用・・・いわゆる男女雇用機会均等が優秀である・・と。

ま、女性がのびのびと活躍する企業として長崎県ではもっとも優秀な会社である・・・と。

ま、結婚して子どもを産んで、仕事と私生活を両立している女性社員が多い・・・と。

ま、子どもを二人も三人も育てながら、管理職として働いている女性社員が何人もいる・・・と。

 

だから、もっとその考えを促進しブラッシュアップして、長崎県のモデル企業になってください・・・ということなんだと理解している。

なぜ、ここまでして女性を厚遇するのか?

よくある質問なんです。

結局、「そんなことしたら人件費高くつくでしょ?」っていうことなんだね。

答えはこうだ。

 

1.地方は深刻な人手不足だ。女性を雇用しなければこれは解決しない。

2.経済の時代は「正しい答え」があった。しかし文化の時代は「正しい答え」はない。

 

だから、キャロル・ギリガン女史の言う「女性の活用」なんだよ。

とくに、美しい滝川クリステルさんの言う「おもてなし」は女性ならではの気配りが大切だ。

「経済の時代」はサービスはタダだった。

しかし、

「文化の時代」はサービスこそが利益を生むんだ。

 

有償のサービスであれば、その質を問われる。ここが肝心だ。

女性は確かにわがままだ。(女性のみなさん悪意はありませんm(__)m)

しかし、女性は本能的に「おもてなし」能力が男性よりも高いと思う。

これは「子どもを産む」能力と関係があるような気がする。

そして、女性の女性らしさ・美しさは男性だけではなく、同性の女性でさえもなごませる。

「文化の時代」は女性の時代でもあるんだ。

 

映画館だって美術館だって、レストランやイベント会場も、圧倒的に女性が多い。

つまり女性は、美しいもの美味しいもの、心地よいものに対する感覚が男性よりも高い。

つまり女性は「文化的動物」なんだね。

 

世の男性諸君、もう男性というだけで偉そうな顔をするのはやめよう。

世の男性諸君、自分の体型はかえりみず、女性の体型を評するようなことはやめよう。

世の男性諸君、女性が上司になっても従順に働こう。

もうすでにそういう時代なんだから。

 

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コメント(4)

ppさん、いらっしゃい!
まさに同感!そのとおりだと思いますよ。

成熟した社会は女性が強くなる。それまで女性はやっぱり虐げられる存在でしたからね。
女性が強くなるってことは日本もそれだけ進歩したんでしょうね!

たごちゃん、いらっしゃい!
そうかあ、たふごちゃんの会社にもそういう男性のような女性がいるんだね。
たごちゃんは神経が細やかだから、心無い言葉(だいたい本人はなにも考えずに話してる)に傷つくんだろうね。

僕もそうなんだよ。逆説的だけど、社長ってのは意外とまわりから浮いてるから冷たい言葉で攻撃されることは少ない・・・だからこの仕事を選んだともいえる。

僕もたごちゃんと似たタイプだからね。
だから社長ってのは裸の王様になりがちなんだね。そこは注意しないといけないけどね。
たしかに男性的な女性もいれば逆もいるよ。
要は自分のタイプを見極めることなんだろうねえ。

いくら正しい答えを言っても、そこに愛がなければですね

女性は力がなかったから周りに配慮しなければ生きてこれなかった歴史がありますからね
辛抱と配慮、計算高さは遺伝子に組み込まれていると思います

そういった、優秀でわがままな女性(悪意はありません)をうまくつかわれてる社長の懐の深さも凄いですね
“わがまま”という言葉が出てくることで、辛抱されてることも多いと想像します

女性から使われることも使うこともできない男には残念な人生しか残されてません

長年辛抱してきた女性の歴史がやっと報われる時代になったということでしょう

続けてコメントするのは何だかよく分からない照れくささがあるのですが、再び失礼します。

世の中の価値観が変わってきて、男性だから・・・、いや女性だから・・・、って区別が難しくなってきているような気がします。なぜなら私自身が、争い、諍いごと、摩擦、トラブルというものが大嫌いで、キャロル・ギリガンさんの区分で言うと女性的ということになるような気がするからです。文章を1行考えるのにもにもすごく言葉を選びますよ。そういえば、PCのキーボードを打つ手の小指が立っているし、隠れオネエキャラなのではと、内心静かに怯えています。

一方で、自己中心的で周囲のことも考えずに相手が傷つくことをズケズケと言い、正論と我が儘を履き違えたような、自己主張の激しい女性も一部に存在します。僕の目からは女性的な魅力をかけらも感じないし、さりとて男性的かと言えばそれも違うような、ただがさつな印象しか感じないような人。とても苦手です。

男性にできることは女性にもできる、ならば逆もまた然りではないでしょうか。たしかに男性に子供を産む能力はないですが。何が男性的で何が女性的か、人としてどうあるべきか突き詰めて考えれば、実は両者にはそう大きな違いはないのかもしれません。

もちろん御社は実力や特性に応じた適材適所の結果、女性を重用しているのだろうと推察しますが、世の中には外見を良く見せるために、一種の宣伝効果を狙って女性を重職に就けるような企業団体も当然あるでしょうね。それは労使お互いに不幸なことだと思います。

なんだか言わんとするところがわかりづらい文章になりましたが、理にかなった女性重用は大いに賛成ですが、ただ有能な女性だという理由だけで、世間ウケするパフォーマンスで女性を登用することは反対です。かえって女性に失礼だと思います。

こういう考え方するところ、僕ってやはり女性的なのだろうか。オネエキャラ開眼?う~む、それが一番困った問題です。

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