「武士」のルーツに三派あり。

1.武力をもって朝廷などの「公に奉仕する」近衛兵を意味する「もののふ(武士)」   源氏と平家がこれにあたる。

 

2.次に一段低く、貴族の家財や身辺警護にあずかる者を意味する流れがある。彼らは、主人の近くにはべって「かしこまってさぶろう」と返事したらしい。ここから「さぶらい」に。そこから更に「さむらい(侍)」になった。

 

3.この「さむらい」の下には、どんな紛争であってもかまわないから請け負う「つわもの(兵)」なる下層のものが存在した。

-[1930-] 東京出身の作家 加藤 廣2012年著『黄金の日本史』より-

教科書には載ってない「武士」の定義だよねえ。

「もののふ」と「さむらい」と「つわもの」は違うんだね。

武士のなかにも身分のランキングがある。

みなさんは、「士農工商」の身分制の定義を知ってますか?

人間はみな同じ・・・ってのは近代の発想であって、本当のことをいうと、今でも色濃く身分制度ってのは人間の中に巣くっている概念だね。

学校ってところは、こんな基本的なことをマトモに教えちゃくれないからね。

これはいろんな説があるんだけど・・・、その一例を説明しよう。

 

「農」は土の中から「有」を生む。つまり貴重な食物を生み出す仕事であり、すべての民の命を生み出す重みをその仕事に与える。ゆえに身分が高い。

 

「士農工商」の最高位にある「士」は、そのようなものとして「死」をもっていた。常に死と対峙して生きる。そこに武士の誇りがあった。

 

「工」は、技術で素材から作りだす「もの」がそれであった。刀鍛冶の作る「刀」などは、その最たるものだよね。「もの」はすなわち「命」であり「魂」だった。しかし・・「命がけ」の士、土という無から食物という「有」を生む農に比べると、段階的には下と考えられられた。

 

「商」・・・これはもう、背後に見えるものが定かではない。命をかけているわけでもない。ただものを転がして「利」を得るのみ。だからいちばん身分が低いんだ。

 

ヨーロッパだって、カネを扱うユダヤ人は、どこの国でも身分が低かったのと通じるものがあるよね。

この身分制だってちゃんとその背後を理解する必要があるんだね。

 

だって、いまでも社会の中に、見えにくくはあっても「身分制」は残っているような気がする。

人種差別だってそうだ。

ただし、カネをもった人がエライ!って発想は、江戸時代とは180度逆転した発想であるけどね。

ある意味、江戸時代の人の発想の方が正しい部分もあるんじゃないかな?

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コメント(2)

ppさんいらっしゃい!
僧侶の扱いは難しいですよね。でもここからは私見ですが、ヨーロッパのカトリックにおける神父の批判を許さぬ権威に比べると、少なくとも江戸時代の僧侶は、権威や笑いや嘲笑の対象になっているような気がしますねえ。
江戸時代の大衆はもっと僧侶を「人間」として見てただろうし、いろんな僧侶がいたんでしょう。
仏教はキリスト教ほど戒律が厳しくないですよね。
だれだって自分がいちばん大事ですよ。
他人の決めた身分を粛々と受け入れて生きるってのは耐えられません。
わが道をゆくだけですよね。

明らかに別格なのは天皇ですね
“様”付けで呼ばれますし
僧侶はどうなんでしょうか?

アメリカの大統領、教皇、天皇、創価の池田会長。。
偉い人はたくさんいますが、いまにところアメリカの大統領がトップかな?
国や民族などによって価値観は様々ですし、ランク付けは非常に困難でしょう
またこの価値観の差によって紛争が絶えません
先生たちも理解不能で子供たちにも教えることは困難でしょう
教育現場では人をランク付けすることもタブーでしょう
しかし現実には身分制があるんですけど

命がけなのは全ての生き物がそうであって、一番強い人間の武士が一番命がけとは思えませんね
ただ一番強いものが一番自分が偉いと言ってるだけですね

一番偉いのは自分自身だと思います
自分自身が存在しなかったら、世間で偉い人と言われてる人の存在すら認識できませんから
ただ便宜上身分を受け入れてるだけですね

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