森鷗外『寒山拾得』

は少女を呼んで、汲立(くみたて)の水を鉢に入れて来いと命じた。水が来た。
僧はそれを受け取つて、胸に捧げて、ぢつと閭を見詰めた。
‐[1862-1922] 島根県出身の小説家・軍医 森鷗外1916年著『寒山(かんざん)拾得(じっとく)』より‐
なんで森鷗外の『寒山拾得』を思い出してこれを書こうと思ったのかわからない。
高校の頃、この短編を読んでもよくわからなかった。
この話は、中国の蘇州にある寒山寺を舞台にしたお話なんだ。

今思うと、ドイツ帰りのインテリ医者だった森鷗外が、古典的な組織の上下関係を非難しているのかな?と想像がつく。
いまも昔もインテリの新人類は、旧来の組織を否定しがちなんだろうな。

この文章を紹介したのは、三島由紀夫[1925-70]が、この一文を非常に褒めていたからなんだ。
彼はこう言っている。
「『水が来た』という一文に圧倒された。普通なら、夕日が映えたとか、風がそよいだとか、場景をつけたがるところを鷗外がそれをしないところが素晴らしい」と述べている。

天才は、このようなことに感動するんだなあ・・・と思った反面、

僕は、あまり三島由紀夫を人がいうほど評価していないんだ。それは彼が、なにもないところからストーリーを組み立てる・・・例えば現代の村上春樹などと違い、彼の小説にはほとんどなんらかの元ネタや事件があって、それを小説化しているように感じるからなんだ。

それは芥川龍之介にも言えるけどね。
僕は、彼があんな突飛なクーデターもどきを起こして、割腹自殺をしたのは自身の才能の限界に気づいたからではないかと密かに思っている。

たまにはこんなことを夢想するバイカー修ちゃんでした。

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