集団の力というものは、「組み合せ」によって発揮されるものです。同じカードばかり揃えても意味などない。
「戦略・戦術」とは可能性の選択です。選択肢が多いほどよろしい。
その選択肢すら想定できない者や組織に、戦略どころか戦術すら考えることはできない。
-[1930-2011] 大阪市出身の文芸評論家 谷沢永一の言葉-
中国が抗日戦争70周年を迎えるにあたり、日本や世界にいろいろと思惑のある交渉や攻勢をかけている。
ある人は、過剰に反応しナショナリズムをたぎらせている。

恐らく日本にも中国にも、ナショナリズムで国民の血をたぎらせて、敵愾心をあおることで共通の利益を得る勢力がいるんだろう。
まあ、これが両国の政権の多数派を占めるから始末が悪い。

政治がいかに敵愾心をあおろうと、理性ある国民は醒めていて買い物ツアーで爆買いしている中国人観光客はたくさんいるし、上海に行けば日本人観光客がわんさかいる。

熱くなってる人々は、どちらの国も「生活に問題を抱えた層」が大半だ。

日本も国家運営が行き詰まっているけど、中国だって問題を抱えてる。
子どもの出産をアメリカで迎える小金持ちの中国人が後をたたない。

アメリカで生まれた子供はアメリカ人になれるっていうアメリカの法律を逆手にとって、子どもにアメリカ国籍を与えたい中国人がいっぱいいるからだ。

この問題、さすがにアメリカでも危機感をつのらせているみたいだ。これほど、共産中国の将来を憂いてる中国人も多いってことだね。

逆に日本じゃ、国内から出たがらない引きこもり若者が問題になっている。
この現象、まったく逆に見えるけど問題の根っこはおんなじだと思うぞ。

日本と中国、そして韓国も国民の性格を見てみると、基本的によく似てる。
谷沢永一先生がいうように、この東アジア人たちは、一本の考え以外は認めない、非常に狭量で挟撃(きょうげき)な性格というところは共通してる。

日本人の考えの狭さも身近に事例はいっぱいあるでしょ?
「これからは、過去の慣例にしばられない自由な発想が必要だ」って評論家やコンサルタントの先生や会社の社長さんは口をそろえて言うけど、やってる企業や組織や個人がどれくらいいるでしょう?

勉強会に熱心に参加する人もたくさんいるけど、実践してますか?
勉強するのは大事だけど、やらなきゃなんの意味もない。
受験勉強はできても、応用のできない秀才くんとおんなじでしょ?

まずは、朝の清掃でもいい。できることを続ける。
凡人にできる「すごいこと」は「続けること」、これしかない。
僕は、この「バイカー修ちゃん・今日の一言」を16年続けています。
このためのメモ帳も、A4で1600ページを超えました。

これが僕の唯一の自慢できる「すごいこと」だと思っています。
あなたが人に誇れる「すごいこと」はなんですか?

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コメント(2)

藤田さん、いらっしゃいませ!
コメントありがとうございます。僕も同じ経験をしましたね(もしかしたら現在進行形かもしれません・・・)。
でもその「どうしようもない部下」が社会のパラダイムが変わったとたんに大活躍した例もまた多いのがわが社なんですね。

なにをして「どうしようもない」社員の定義かっていうところも大事だと思います。
仕事ができない、時間にルーズ、やるべきことがやれない・・・いろいろあるでしょうが、僕はここは譲れないという点がひとつあって、それは「真摯であるかどうか」だと思っています。

真摯さがなければ、これはもう「どうしようもない社員」ですが、困ったことに仕事のよくできる「どうしようもない社員」もまたいるんですよね。

僕は、この仕事のよくできるどうしようもない社員こそが、未来のわが社の危機だと思っています。

いまの若者は無気力だとか、受験型の知識しかないといいますが、僕はいまの若者はなかなかしたたかだと思っています。
彼らはエネルギーを溜めているんですよね。いまに日本が危機的状況になったとき、そのエネルギーは爆発するものと信じています。

よい先生に対する評価基準を変えてあげないと、教育者がどんどん萎縮してしまいますよね。これは本当に困った問題だと思いますね。

不学にして谷沢永一さんなる人を知りませんでしたが、納得できるお話ですね。私も若い頃どうにもならない部下が居ることを会社のボスに愚痴ったら、「会社の組織は城と同じである。城は石垣が大事だ。石垣は碁石のように型にはまった石では堅固に築けない。色々な石をうまく使ってこそ初めて堅固な石垣ができるものだ。」と言われたことがあります。また、「当たり前のことを確実に続けられれば、当たり前でない優れた結果を生み出すことが出来るものだ。」とも言われました。
近頃の若い者は、と言う年寄じみた事は言いたくありませんが、戦後の日本の教育システムは受験勉強に強い者を育てるのに熱心過ぎたのではないでしょうか。受験勉強には強いが、独創性に乏しい人間ばかり育てたような気がしています。良い先生・指導者を育てて欲しいと思います。良い先生・指導者を育てれば、良い人間が育ち、いろんな意味で良い人間が育てば、社会が豊かになる筈だと思います。先生は矢張り聖職だと思います。

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